人に飽きられない為に
人は他人の事はよく見ている。しかし、それと同じウェイトで自分をみている人はどれだけいるのだろう。
他人を見ていると、底を感じる人(伸び代が無い人)、底を感じさせない人(伸び代がある人)がよくわかる。
比べて、前者である事の方がいいのは間違いない。
それならば、発想、視点を変えて、自分が底を感じさせない、させてしまっているかについて考えているのだろうか。
さらに感じさせない為には何をしたらいいのだろうか。
実は、答えは簡単で、「日々自分の中で満足せず、行動し続ける事」である。
自分の中に常に変化を求めている人を、他人が見た時に、伸び代が無いと言える要素があると考える事の方がとても困難では無いだろうか。
日々、僅かでも進歩を怠らない人は、他人に飽きられる事は無いだろう。
困難を乗り越える為の処方箋
苦しみ、辛さ、孤独から逃げず、一生懸命に歩みさえ止めなければ、同じ経験をした成功者が、いつという期日は無いが、必ず手を差し伸べてくれる。
だから、「希望は持ち続けていいんだよ。」
成功者も同じ様にして、乗り越えて来ているのです。
熱くものを語るのは
熱くものを語るのは、人に伝えたいという願望だけなのだろうか。
心の中に、誰かに見ていて欲しいというものも含まれているのではないのだろうか。
常に静でありながら、動が伝わる形を作り上げるには何が必要なのだろう。
私は自分自身を見つめてみて、熱さを制御出来ず、右往左往しているように感じる。
自分の可能性
自分の可能性
それは、気づき、本気で自分を信じた人が、初めて見る事ができる世界である。
握手のある関係
握手のある関係について考えてみた
ある本で読んだ事がある。掌(指先)には無数の神経が集中していて、握手をすると相手の脳に直接的に印象をつける事が出来る。
日常の職場で握手を求めてくる同僚、上司は、現在、過去の記憶を遡っても、数えるほどだった。恥ずかしさもあると考えたり、する必要などないとも思っているのかもしれない。
私の記憶では良い印象が残っていた。視点を変えてみると、何度も当選している政治家は握手を求めている光景を良く見かける。習っていた柔術でも、握手で始まり、握手で終わる。関係は、そんなに話をしていないのに、近く感じる事が出来ていた。
それが全てと言い切れるかは、よく分からないが、ある時から、オーバーアクションを入れたり、慣れて自然に握手をするようにした。
観察していき、私の思い違いかも知れないが、受けた相手の表情、対応に柔らかさが感じられるようになった。
人には、反射神経というものもある。もう少し、自分を使って試して行く価値があると感じている。
年老いて仲の良い夫婦に憧れて
小学生の頃から、死ぬまで仲の良い夫婦に憧れていた。
こうすればそうなれるという法則を、ずっと探して来た。周囲の夫婦関係、世間一般の夫婦関係、動物の夫婦関係(交尾後に雄が食べれてしまう生き物もある)を見ても千差万別で、とても迷う事になった。
今、まだ現在進行系なので、また数年後に変わっているかもしれないが、こう考えている。
将来こうありたい(一緒に仲良くいたい)と強く願いつつ、今日、今この一瞬を大切に、真剣に過ごそう。よく結婚式で言われる言葉だが、感謝の気持ちを感じよう。
決して自分からこれぐらいやっているのだから感謝して欲しいというのではなく、気づいた相手の小さな行いに感謝の気持ちを感じ、その100倍位のイメージで感謝のお返しをしよう。
そうしていれば、気がついたら、それまで見えていなかった相手からの感謝の気持ちが見えるようになるのだから。
80歳の仲の良い夫婦がいたとしたら、79歳の最期の一日を、相手への感謝の気持ちで過ごし、翌日を迎えて80歳になっていると考えるようにした。
こうすれば、80歳まで仲良くいられるというのではなく、1日1日の連続の結果で80歳に至ったという解釈です。
明日があると思うから
普通に暮らせば、明日が来る。
高い確率でそうなると考え、大抵はそうなる事が多い。
でも世の中の出来事の中で、自分でコントロールで出来るのは、どの位の割合なのだろうか。
例えお金がある人でも、時間と距離の観点から考えても、インターネットや人脈を駆使したとしても、地球規模を考えたら、ほんの一握りの、いや、握れないレベルの事しか出来ない。
私の目の前で、代表的なものと言えば、テレビのリモコンや車のハンドルといったところでしょうか。
友達、職場の同僚、夫婦、家族。明日また会える保証はどこにも無いのに、何処かで自然に勝手にそう考えている。ある種、仕方ない事なのかもしれない。
だからこう考える事にした。明日もまず会えると思うけど、会えない可能性を否定せず、今日、相手にやり切れたかどうかを考える事にしよう。