熱い男を目指して

「熱さ」の魅力を探究する徒然なるブログです

目的と手段の逆転 上司と部下

  部下にも立場があり、考え方があります。

  上司には、それと同じ位、いや、責任を取る立場である以上、もっと大きな立場と考え方を持っています。

  その立場になるには、沢山の経験や実績が必要となるからです。

  上司も万能では無いので100%とは言えませんが、時に部下に対して「こうしたら良いのではないか」という「手段」の提示をする事があります。

  その時、部下の立場で欠落しやすい事が起こります。それは部下の考える「自分はこの方法でやりたい」という「手段」に固執する事です。

  仕事をこなす時、その「目的」は何でしょう。それは、「事を収める事」ではないでしょうか。

  上司も暇ではありません。効果の出にくい(見通しが立たない)「手段」の提示をする事は、皆無ではないでしょうか。

  最終的に責任を取るのは上司ですし、結果が出る事がわかる部下の「手段」を目の当たりににしたら、何も言わないと思います。

  わざわざ言うという事は、それなりに理由があるからです。

  最も賢いのは、言われたら、とりあえず試す事。そして、結果を客観的に見る事です。

  試してみなければ、永遠に気付くことは無く、部下として考えていた「手段」が全てでは無いとわかる事が出来ないのです。

  部下として持っている、自分の「手段」は、責任を負う立場になった時に、縦横無尽に使う事が出来る(助けてくれる人がいない分、プレッシャーが違いますが)のです。

  とにかく、「謙虚」というキーワードを大切にしていけば、しない時より、関係は好転しやすくなると思います。

 

メッセージの伝え方と伝わり方

  1971年にUCLAの心理学者アルバートメラビアンという方が提唱した「 サイレント・メッセージ」を知りました。
  人が実際にメッセージをどのようなウェイトで受けとっているか。データを数字化したものです。

  言葉が7%,ボイストーンが38%,ボディランゲージが55%になっいるとの事です。
  上記を見ると、人が半数以上を視覚でメッセージを受けとる性質が分かります。ボディランゲージの上手な出川哲朗の見方も変わりますよね。
  そうすると、言葉でのメッセージは重要では無いのか?と言うと一概にそうではないようで、身振りや声を思い出せなくても、言葉は時として10年,20年心に刻まれる事がある。
  使い方が大切という事なのですね。

夕焼けと赤とんぼ

   昔から夕焼けが好きです。小さな頃は、自然に溢れていて、夕方になると柔らかな夕焼けの空を、手を伸ばせば掴めそうなくらいの赤とんぼが無数に舞っていました。

  何処にいても夕焼けには心を奪われてしまいます。

  じんわりと静かに沈んでいく夕日を見ながら、自分の人生の終わりがこのような形で締めくくる事が出来たなら、幸せだろうなと感じます。

   

父親としての存在

  私は父親を心から尊敬しています。

  知識も経験も豊富で、そして動じる事のない強さを感じます。ずっと超えたいと思う対象です。

  そして今、父親として、どこまでいけているのだろうと考える事があります。とにかく未熟であるとしか思えないのです。

  何か救いがあるとするならば、常に120%真剣に、昨日より成長していたいと思い続ける事が出来ているくらいです。

  父親が生きる道しるべのようなものだったので、いつか、子供達がそう思ってくれたら、これ以上の喜びはありません。

 

  

努力の価値

  イチロー選手は天才と言われているが、とても遠回りをしてきた、と言っていた。

  桑田真澄選手の努力は、スポ根ではなく、超効率的な努力の賜物とも聞いた。

  一見違うものに聞こえるが、共通しているのは、何か考えてみた。

  それは、自分の行いを心から信じる事と徹底する事。そして、目の前にやってくる困難に対して、逃げずに真摯に取り組む事でした。

   努力の先に何があるか分からない。結果なんて決して保証されていない。それでもやり続けられる精神の維持の仕方に、ポイントがあるのだろう。

  サッカーの三浦知良選手を見ていて一番思うのは、「好きこそ物の上手なれ」だ。好きな物に対して、徹底をする事が出来たなら、その先に無限の未来が開けるでしょう。ただ、その途中に困難な山が来ることを前提に進んでいくべきだろう。

言葉の使い方と物事の捉え方

  言葉とは何と奥深く、魅力的なのでしょう。そして、それを三次元、時には四次元的な感覚にまで引き上げてくれます。

  ある本の一節に、こうありました。「真の発見の旅とは、新しい景色を探す事ではない。新しい目で見る事なのだ」

  周囲の見える範囲を変えるのではなく、自分の視点から変えてみる。わかりそうで、意外と気付いていない。やれそうで、なかなか出来ていない。出来ていないから、分からない。

  言葉を言葉として素直に捉え、実践したらどんなに楽な事だろうか。知識、経験を積んでしまうと、知らぬ間に、当然のように、それ以外の選択肢が無いかのように、人は振る舞い、自分で苦しんでいる。

   怖いかもしれないが、時に、子供のように流されるように、言葉通りにしてみたらどうだろうか。シンプルに見える世界が変わる事でしょう。

  

罪と罰

  人には罰が必要です。ただ、もっと必要なのは、受けた罰をどう捉えられるかです。
  罰を受けたことによって、自分の無意識下に起こりうる、より大きな損失を未然に防ぐ戒めであると考える事が出来たなら、これ以上は無いのではないでしょうか。