熱い男を目指して

「熱さ」の魅力を探究する徒然なるブログです

迷いと決断の数

「迷い」と「決断」の数は、同じ数と思っていないでしょうか。一つ決断をすれば、上手くいくと思ってしまうと、人によっては決断する迄と、決断をしてからの両方で苦しむ事があります。

私の場合です。役職者になり、必死に考えコミュニケーションや判断、指示をしていた事がありました。しかしながら、上司からは、「部下を見れていない」というコメントだけ。具体的に何が悪いか、どういう事をしたらいいかの話は、ありません。

その上司は、私から見て、過去に私を見てくれていたという印象は無く、ほぼ放置という状況で、その時がありました。

一度その役割を外れ、再びその役割が来た時、上司、部下も変わり、その部下は、社内でも群を抜くくらいの個人主義でした。

事を動かしたいと考える時、一番足を引っ張るのは、相手では無く、実は、自分自身の変化にあるのですが、当事者になると簡単に気づけないジレンマもあります。

一回の判断で、解決に向かえると考えるのは都合が良すぎるのかと感じます。

今思えばですが、上司の求める事、部下への対処については、絶対にこの方法というものが無い。

上司から求められている事を察し、気づいたら部下が目標に向かって行く気持ちになるように工夫して、最善の結果を導き出す事が必要となる。

悩みに対し、小さな決断と失敗を多数繰り返し、最善の方法にたどり着く。

「決まりは無いのだから、全ての決断に対し、修正は必要だけれど、間違いなど無い」と思う事。

そして、もっと必要なのは、「後悔をする必要が無いくらい、一瞬一瞬をやりきって判断する事」だと思い行動をしています。

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<p>#「迷い」と「決断」</p>

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成長と経験(その中に生まれるGap)

  人は知らず知らずのうちに、自分の可能性と能力を自ら狭めてしまう。

  なぜそうなるかというと、過去に培った経験の元、この領域を満たすのにこれくらいの努力が必要だとわかってしまうから。

  目安が見えてしまうが故に、規定以上の努力をする必要が無くなってしまう。
 

  一流の方の思考はちょっと違っていて、過去の最適解はそれでありながら、常にもっと良い方法はないかを模索している。
  結果的に成長の基礎となる、プラスアルファの努力を続ける事になる。

  経験が邪魔をするという事は、失敗しない行動と常に一緒にあるのだろう。
 

  自分の可能性を広げるには、ポジティブな流れにあるミスは、当たり前で良いと思える事。一度成功しても、もっと良い方法があるのではと模索し続ける事が出来る事。この2つが必要なのだと思う。

暗中模索の中の命綱

  社内の王道から外れ、保証も確証も無いところで任される役割。

  前例が無い中で、ビジョンがないと言われ、創造していった日々。

  何が正しいのか、間違えているのかさえわからない現実。

  確かのは、自分が努力したものが積み上がっていくことと、何度も色々な角度から分析した現状把握、自分の強みと弱み、相手の強みと弱み、そして時の移り変わりとともに、少しづつ変化して来ている目の前の環境。
  苦しいけれど、でも、選択肢が無い方が、逃げ道が無い方が、結果的にいい方向に進めるのかもしれません。

 
  一山越えて感じるのは、目の前の事を恐れる必要などない事、ダメでも挑戦し続ければいいという事です。

  正解など最終的に誰も知らないのですから。  

  だから、どんなに苦しくても投げやりにだけはならない方がいいと感じます。

人の心が動く時

  超一流と言われる全国でも有数の方と近くにずっといる事が出来た。

  その方に言われた言葉を今でも大切にしている。

  それは、怒られた時に言われた言葉だ。

  「お前は不器用なんだから、自分の目の前にある、やるべき事をきちんとやってればいいんだ。」という言葉だった。

  大人になってから、こんな言われ方で叱られるのは、殆ど経験がなく。振り返ると中学の部活以来だった。

  怒鳴り声の迫力と共に、私のウィークポイントの指摘、その中に何か優しさのような感覚も入り混じり、とにかくズドーンという衝撃が全身に走った事を覚えている。

  それから、ずっと、こんな人になりたいと心から思っていた。

  そして、最近、思っているだけではなれないと気づき。機会があれば、自分はなると思い、発言もするようになった。

  本当に心からなりたいのだ。

  その時は、いつ来るのだろうか、来ていても自分では気づかないのだろうか。

  直球で直接に、尊敬の意思を伝えた時、「そう思ってくれるのは嬉しい事だ」と素直に返していただいた。

  一度しかない人生なのだから、自分に衝撃を与えてくれた、憧れの人を目指し続けることに決め、一歩一歩進んでいる今日である。

暗中模索

私は一度だけ転職をした。

その後は、背水の陣で臨み、任されたものから逃げる事はしなかった。

逃げたら、その前と一緒だから。

家族も増えた。笑いもある。幸せなんだと思う。

でも、夫である、世帯主である、役職者であるプレッシャーが半端なく、押し潰されそうだ。

どこかに突破口があるはずだ。

手など抜いていない、逃げてもいない、でも、擦り切れる音が聞こえてくる。

このまま行ったら...。

自分は、このバランスを取りきれるのだろうか...。

一瞬一瞬で矛盾が右往左往しているのは分かる。

 

無力

自分を自分で奮い立たせる為に。

そう思い振り絞って、ポジティブに新しいものに取り組み、続けているのに。必死に真剣勝負の一瞬を、戦っているのに。

何かやり方が間違っているのかな。

ゆっくり変わっているのかもしれないが、でも、

愛する妻に、美容室にも行かせてあげられない現実。

今、このままでいいのかな。幸せと思えてくれているのかな。

日々の生活の中で、時が過ぎ、出来事はあり、大切にしているものもあり、その先にどうなりたいのか。なれるのか。今ここに居ていいのか。

ほんの少しでいい。妻がもっと笑顔でいてくれるように、今が変えられるように。

癒されたいのなら

  もし、心が押し潰されそうになり、癒されたいと思う事があったとしたら。

  そして、まだ少しでも余裕が残っているとしたら。先ずは、求めるのではなく、愛する人へ必要とされる癒しの行動をしてみよう。

  それが出来たら、案外、簡単に、ブーメランのように、癒しが帰ってくるかもしれませんね。