熱い男を目指して

「熱さ」の魅力を探究する徒然なるブログです

男というものは

あるキーワードを目にしました。

 

「男というものは、生きているだけで、寂しいもの(感じてしまうもの)」なのだそうです。それも、女性とは違い、子供を産む事が出来ない所から来ているとの事。

  そんな発想に至る事が今まで無かったので、衝撃を受けました。

  ただ、ずっと考えて、振り返ってみると、合点がいきそうな事が、いくつか出てきました。

 

  遠い昔、思春期を越えて、独り立ちを考えるようになった頃から、当時はよくわからずも、不安感が出てきました。そして親や家に変わる自分の支えになる物を探し始めました。  

  夢、趣味、友人、異性など、あらゆるものの過程を経た結果、私を受け入れてくれる妻を迎える事になり、一時的に心は安定しました。

  唯一無二とはいっても、逆立ちをしても他人である事には間違いはなく、それを繋ぎ止める証(それだけでは無いのだが)が欲しくなり、幸運にも恵まれ子宝を授かりました。

  非常に幸福な瞬間を歩んでいるのに、何故か再び不安感が同居するようになります。今まで、何年も探してきた寄木となっているべき存在が、その場所に無い瞬間が出てきて(当然の事ですが、奥様の見る方向が子供中心に変わる)しまうのです。同時に仕事でも困難は倍増します。

  そんなもの(自立)、自分で考えて対処出来る様にならなければ(強くならなければ)と頑張れば頑張るほど、何故か解決から遠ざかります。気がつくと方法も間違えてしまい、状況によっては、時すでに遅し(浮気、ギャンブル等の逃避)にもなりかねなくなります。親になりきれていないのかもしれません。

  でも、何年もかかって、やっと見つかるものに、そうそう代用できるものなど、あるわけは無いのだろうと思うのです。

  今取り組んでいるのは、自分のそもそもの思考法の破壊(女子化も含めて)です。最終的に、事をまとめなければならないので、今までの通り一遍等では、アイディア、柔軟性が無ければ世間で多く見られる結果に行き着いてしまうのではないかと考え危機感を感じています。

  後は、現在続いている先人に習うという謙虚さも、持つように努めています。年配の方との雑談は、欠かせません。感謝の気持ちを持つ事が大切です。

  さて、私の未来この先どうなることやら、怖いけど、悩むだろうけど、それでも前を向いて、楽しもうとも思っています。