必要とされる人間になる為に
ずっと考えていた事がある。高いレベルの人に必要とされる人間になる為に何を大切にしていったらいいのか。
今日、現在で考えているのはこうだ。
大切にする事は2つ。
①何があっても、競争意識を高く持ち続ける事。
②自分の目の前にあるやるべき事に興味を持ち続ける事。
高いレベルの人達は、常に競争にさらされ今がある。必然的に周囲の人達に対しても、その意識を持ち続けているかを見るし、気づいている。勝負を常に意識できているかが、必要とされる最大の要素となる。
リーダーやパイオニア、少し言い方を変えると責任者の人達は、前例のない事と試行錯誤しながら、動き、闘って、今がある。その人達が、周囲に共感や必要性を感じる事があるとしたら、それは「道無き道を進む、行動力を持ち続けられるか」であろうと思う。そうする為には、最低限、自分のなすべき事に好き嫌いはあれど、興味は持ち続けなければならないだろう。
上記をベースにおいて、限界を決めず、継続していきたい。
人の心を捉える
人の心を引き付けた瞬間を実感する事は無い。
気づくのは相手の行動や反応が変わった時だから、いつも思うのは「あれっ?」といった感覚だ。
色々、真摯に向き合い応対してきた事は確かだが、「これ」というものがいまいち分からない。
過去に意図して試みた事はあったが、全てうまくいかなかった。
伝わるというのは確かな事実だが、今の私には、それが現状だ。今後もそうなのかもしれない。
人の心を捉える事に悪い事は無いので、行動の中心は変えなくていいと思っているが、それほどに、心の内は、わからないという事なのだろう。相手自身ですら、自分の心の変化に気づいていないという 話も聞いた事がある。
まあ、答えがないから、逆に楽しみ続けられるとも言える。そう考える事が心の健康には必要なのだろう。
柔能く剛を制す
この言葉を知った時、力が無くても相手を倒せると普通に思っていた。
歳をとってから、素人で柔術を習い始め、少しずつ基礎を覚え、大きく重い相手と組み、何度も抑え込まれ、それでも試行錯誤し、師範にお聞きしたら、こういう答えが帰ってきた。
「相手を引きたければ、一度押す事。そして、引く事」
試してみたが中々うまくいかない。さらに挑戦し、ある時、体感できた瞬間があった。そのポイントは押し方であった。
力や体重が無いながらも、タイミングを見て素早く最大の力で押し、相手にプレッシャーをかけた時、耐えようとして、相手の力が私にかかる。
その時に一気に引くのである。経験のある強い人は、それをも理解しているので一筋縄ではいかないが、相手をコントロールするには、自分が持てる力で最大のアクションをまずしなければならないと気付かされた。
丁度その頃、ラグビーワールドカップの日本代表の活躍の試合を見た時に気づいたのは、屈強な外人に対して、まず、とにかく、1人、2人と逃げずに当たりに行っていた事だった。
勝負をする時、チームプレーは重要で、個人の技術も必要だが、その大前提には、力の差があったとしても、相手にプレッシャーを与える事が必要という事だ。
知っている事と体感して理解する事には、とてつもない違いがある。頭で考え、身体で実践し、覚えこませる作業がとても大切な事だと感じた。
必要とされたい感情
必要とされたいと思う事がよくあった。自分を掘り下げれば、隠し切れないその思いは今でもある事は否定出来ないであろう。
毎日を暮らす時、必要とされている事が実感出来ている時は、安心し安定する。
でも、それを主軸に生きていると、少しずつ無理が出て来る。何故なら、必要とされている事を実感出来るシチュエーションは、毎日、溢れるほどには訪れないからだ。
だから、不安定を普通の事と考え、言い聞かせるように工夫した。安定したらラッキーだというふうに。そしたら少しだけ心が軽くなった。
自分の思考を全て理解出来ているわけではない。少し受け流すテクニックを覚えた程度かもしれない。
でも、必要とされたいともがくよりも、余計な労力が省けて、他の時間に思考を使える事は確かである。
その、今まで無かった、使えた時間で何が生み出せたかが、大切だと考えるようにしている。
レールに追従する事
レールに乗ってきっちり走る事は簡単な様に聞こえますね。
でも、違うのです。レールに追従するという事は、元々柔軟であるべき人間が、機械に近い様に正確にこなし続けなければならないという事。
少し前まで、レールに乗れる役割だったらどんなにいいだろうという「隣の芝生は青く見える」状態の認識でした。
過去を振り返ると、私の目の前には、何故かいつもレールが無く、そして、用意されているアイテムすらあまりない。先を見据えて動こうとするとやり過ぎ、理想論過ぎると指摘される。アイディアを振り絞り、自分を信じて進むしかありませんでした。
レールに乗れたら(会社の王道)、どんなに楽だろうと考える事もしばしばでした。
しかしながら、真摯に色々な方のアドバイスを沢山もらい続け、感謝し、噛み締めていた時、ふと、夜な夜な気づいてしまいました。
実は、私にも、巷でいう王道のレールに乗れるチャンスもあった事を...。
間違いなく言える事は、私をよく見てくれていた方々(上司)がいて、君はこのレールが合わない、そのまま続けていたら、将来もっと辛い思いをする(適正)という、先を見据えての判断の結果であったことです。
だから、今、目の前にある役割を理解し、見た事も無い良い環境を想像し、一歩づつ近づける努力を続ける事しかないと感じています。
今ある自分を、周囲から気遣い、支えてくれた方へ感謝、感謝の毎日です。
いつか、自分もそう思われる様になってみたいものです。