熱い男を目指して

「熱さ」の魅力を探究する徒然なるブログです

観る立場から、観られる立場へ、そして...。

  先日、私が初めて受け持った以前(7年前)の部下と、過去、現在、未来について話をさせて頂いた。

  当時、彼は「残業代が出ないからその時間は仕事をしない」「パワハラだ」「マニュアルが無い、不親切だ」と話していて、私も理想を持ち、彼らの側に立ち環境を良くすべく、時に言い合いになる位、私の上司や幹部に改善案を出し必死に行動した。しかし、あまり、彼等の望む結果を出す事が出来なかった。

   そして、今、彼が上司になっている流れで、私が出来ていない事は棚に上げず認めた上で、もっと若い人に対し、上記の事(以前に言っていた事)に対する改善策や、結果、そして、準備を整える事(マニュアルを用意するなど)が出来ているのか聞いてみたところ、ほぼ、若い人を助ける、受け入れて、尊敬されうる、具体的な話や事実が出てくる事は無かった。

  自分に降りかかってくる、その直前まで、人は、言う事とやる事に違う事が多い。想定して、準備して、やれている環境は、全国でどの位あるのだろう。

   彼は、正に「言うは易しを体現してしまった」いや、今も当時の私と同じような現在進行形である事になる。

 

  理想だけでは、事は起こらず、変わりもしない。環境、人を良く観察して理解し、個々人(上司も部下も)の利害を刺激して、巻き込み、事を目指す方向へ持っていかなければならない。

    

  「ベストを意識し、現存しうる最高のベターを導く事を強く意識した行動を続ける」

  

   理想の実現を考え、今、それを大切にしている。

人の関係の本質

  人と人の関係には、実は、はっきりとした境など無く、そのバランスだけなのに、個人差はありますが、はっきり分けたい人には、難しい生き方しか出来ないのだろうと思います。


  人は出来る出来ないで判断するのではなく、現在進行形で、向上心と行動のみを見て、間違えているようであれば、助言しあい修正し、お互いにどう活かし、活かされるかを判断すべきです。

 

  生きている人の中にデジタル的要素のみで判断をして、うまくいかないときは、こう考えた方が、スムーズに物事は運ぶでしょう。

 

フリーデスク化について

  会社のオフィスがフリーデスクになった。

ずっと前から理想にしていたものだ。行動心理学で先進的なアイディアを生む都内の会社のオフィスは、そうなっている事で、新しいコミュニケーションが無理なく生み出せると聞いている。

  早くも効果は出てきている。願わくば、テーブルは全て丸い方が良かったが...。

  まあ、進歩もあったのだから、良いと考える事にしよう。

  新しいアイディアが生まれ、横のつながりが生まれ、永く会社が繁栄する事をねがう。 

新たな挑戦

  新しい事にチャレンジした。ずっと願い、努力し、巡ってきたチャンス。

 

 「今の私には掴む事が出来なかった。」

 

  楽しめた、緊張したのも嘘ではない。ポジティブに考えるように努め、気持ちを高める工夫を覚え、どんな結果でも、良い方向で考える事が出来ているはずなのに、心の奥底でひっそりと泣いている自分がいる。

 

  悔しいのだ。何とも言えない感情。誰か、特別な人に解ってもらいたい。慰めてもらいたい。この弱い部分とどう向き合い、対処して行くべきか。

  今の私の立場で、多少周囲に影響もあるから、間違いも許されない。

 

  いつもこんな時は、正面から向き合うと言い聞かせているので、まず、そこから始めてみることにしよう。  

平等とは?という問いに

  平等にという言葉は、よく使われますね。
  人で平等なものを探した時に、私が思いつくのは2つです。それは「命」と「時間」です。
  本当はもっとあるのかもしれませんが。
  平等が良いと多くの人は言うでしょう。
  でも、平等過ぎても面白くないと感じませんか。
  平等でない事は、人であれば個性を生み出すしますし、景色一つとっても違いが出るわけで、面白いと思う事には、Gapというものが必要なのです。
  その落差が大きいほど、比例するように面白みも増大するわけで...。
 
  平等でない事を嘆く時間や、変えるのが困難である事柄に対しての時間を割くよりも、もっと、前を向く事を強く意識し時間を使った方が、先々の自分にとっては実りがいいはずです。


  本当に、貴方が行き詰まっているなら、解決策が分からず、嘆いているなら、まずは、騙されたと思って、自分が不平等だと感じる部分を、愛してみましょう。
 
  同じ自分であるはずなのに、見方をちょっと変えるだけで、全く違う景色になるはずです。


  とにかく、トライあるのみです。

 

仕事:人の評価と自分の思い

  評価されるというものは不思議なものです。
出来ていないと言われた部分を改善したいと願い、自分なりに必死に手を抜かず努力しても、なかなか、そこには辿り着かない。大人の仕事だから、こうした方がという具体的なアドバイスも無いのが当然でもある。

 

  視点を大きく変え、もっと大きな目標に目を向けて努力をし始めた途端に、それは改善されたと言われ評価される事もある。


  ここまでやれば評価してもらえるという考えを持つことのほうが、結果的に何一つもたらさないのではないかと感じてしまう。
 
  評価してもらうことの是非は、自分の領域と切り離した方が心の健康にいいのだろう。


  評価など気にせず、誰の指標もいらない、とてつもない大きな目標と志を持ち、ただ、本質を見誤らずに、目の前にあるものに努力を惜しまない事、継続していく事が大切なのだと思う。

 

  評価は、高い目標のただの途中の結果だと思うべきなのだろう。

 

 

エール

  前例という短い物差しで、自分の可能性を縛るのは、やめにしよう。
 

  前例を無視するとい意味ではありません。前例は世の中で無数に経験できることの、あなたが見えているほんの一握りの事なのですから。

  あなたには、無限の可能性があるのです。
世の中で自分くらい、自分の可能性を無限に信じてもいいじゃないですか。

  やった事が無くたって、見た事が無くたって、恐れる事は無いのです。

  一番恐れる事は、何も知らないまま、何も見ぬまま、限りあるあなたの時間を失っていくことではないかと思います。

  一度しかない、戻る事の出来ないものなのですから。迷う暇なく、目一杯やりましょう。