薄氷の上を渡れる人。
「薄氷」 その上を進むと、どこで割れて足を取られるかわからない。状況によっては、氷の下に吸い込まれる可能性もある。
どうしたら、一番高確率で渡れるのだろうか。まずは冷静な分析が必要だろう。
いつまでに渡らなければならないのか、氷面はどういう状況か、氷の厚さは、場所毎の違いは、今の気温は、その前の日の気温はなど、それを構成するもの、影響を与えるもの、そして、自分の適応力を含めて判断する必要がある。
ただ、最も必要なのは、慎重の中にある、思い切った覚悟であると思う。渡るという作業を実践するのに、重要な影響を与えるから。
考え過ぎて機を逸してしまったらそれこそ本末転倒であろう。
思ってすぐできるものではないので、普段から鍛えておく必要があると感じる。
人の器
器の大きい人に憧れます。
器の大きいとはどういう事なんだろうと考えます。
今、思える観点としては、関わる周囲の人を見る力、思いの強さ、そして数に比例するのかなと感じます。
そうなれるよう、まず目の前の近くの方から、より精細に、積極的に関わっていくように意識し、必ず行動していきます。
迷いと決断の数
「迷い」と「決断」の数は、同じ数と思っていないでしょうか。一つ決断をすれば、上手くいくと思ってしまうと、人によっては決断する迄と、決断をしてからの両方で苦しむ事があります。
私の場合です。役職者になり、必死に考えコミュニケーションや判断、指示をしていた事がありました。しかしながら、上司からは、「部下を見れていない」というコメントだけ。具体的に何が悪いか、どういう事をしたらいいかの話は、ありません。
その上司は、私から見て、過去に私を見てくれていたという印象は無く、ほぼ放置という状況で、その時がありました。
一度その役割を外れ、再びその役割が来た時、上司、部下も変わり、その部下は、社内でも群を抜くくらいの個人主義でした。
事を動かしたいと考える時、一番足を引っ張るのは、相手では無く、実は、自分自身の変化にあるのですが、当事者になると簡単に気づけないジレンマもあります。
一回の判断で、解決に向かえると考えるのは都合が良すぎるのかと感じます。
今思えばですが、上司の求める事、部下への対処については、絶対にこの方法というものが無い。
上司から求められている事を察し、気づいたら部下が目標に向かって行く気持ちになるように工夫して、最善の結果を導き出す事が必要となる。
悩みに対し、小さな決断と失敗を多数繰り返し、最善の方法にたどり着く。
「決まりは無いのだから、全ての決断に対し、修正は必要だけれど、間違いなど無い」と思う事。
そして、もっと必要なのは、「後悔をする必要が無いくらい、一瞬一瞬をやりきって判断する事」だと思い行動をしています。
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<p>#「迷い」と「決断」</p>
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成長と経験(その中に生まれるGap)
人は知らず知らずのうちに、自分の可能性と能力を自ら狭めてしまう。
なぜそうなるかというと、過去に培った経験の元、この領域を満たすのにこれくらいの努力が必要だとわかってしまうから。
目安が見えてしまうが故に、規定以上の努力をする必要が無くなってしまう。
一流の方の思考はちょっと違っていて、過去の最適解はそれでありながら、常にもっと良い方法はないかを模索している。
結果的に成長の基礎となる、プラスアルファの努力を続ける事になる。
経験が邪魔をするという事は、失敗しない行動と常に一緒にあるのだろう。
自分の可能性を広げるには、ポジティブな流れにあるミスは、当たり前で良いと思える事。一度成功しても、もっと良い方法があるのではと模索し続ける事が出来る事。この2つが必要なのだと思う。
暗中模索の中の命綱
社内の王道から外れ、保証も確証も無いところで任される役割。
前例が無い中で、ビジョンがないと言われ、創造していった日々。
何が正しいのか、間違えているのかさえわからない現実。
確かのは、自分が努力したものが積み上がっていくことと、何度も色々な角度から分析した現状把握、自分の強みと弱み、相手の強みと弱み、そして時の移り変わりとともに、少しづつ変化して来ている目の前の環境。
苦しいけれど、でも、選択肢が無い方が、逃げ道が無い方が、結果的にいい方向に進めるのかもしれません。
一山越えて感じるのは、目の前の事を恐れる必要などない事、ダメでも挑戦し続ければいいという事です。
正解など最終的に誰も知らないのですから。
だから、どんなに苦しくても投げやりにだけはならない方がいいと感じます。
人の心が動く時
超一流と言われる全国でも有数の方と近くにずっといる事が出来た。
その方に言われた言葉を今でも大切にしている。
それは、怒られた時に言われた言葉だ。
「お前は不器用なんだから、自分の目の前にある、やるべき事をきちんとやってればいいんだ。」という言葉だった。
大人になってから、こんな言われ方で叱られるのは、殆ど経験がなく。振り返ると中学の部活以来だった。
怒鳴り声の迫力と共に、私のウィークポイントの指摘、その中に何か優しさのような感覚も入り混じり、とにかくズドーンという衝撃が全身に走った事を覚えている。
それから、ずっと、こんな人になりたいと心から思っていた。
そして、最近、思っているだけではなれないと気づき。機会があれば、自分はなると思い、発言もするようになった。
本当に心からなりたいのだ。
その時は、いつ来るのだろうか、来ていても自分では気づかないのだろうか。
直球で直接に、尊敬の意思を伝えた時、「そう思ってくれるのは嬉しい事だ」と素直に返していただいた。
一度しかない人生なのだから、自分に衝撃を与えてくれた、憧れの人を目指し続けることに決め、一歩一歩進んでいる今日である。